東京農工大学同窓会東京都支部

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同窓生からのご寄稿


  ★ 長野県白馬村のプチホテルでの勤務経験 ★

◎  池谷 紀夫(農院 昭和52年卒)

  •  令和4331日で同窓会事務局長を退職した池谷です。大学を修了してから、東京農工大学の事務職員として就職し17年が経ったころ、自分で飲食店を経営したいという気持ちが湧いてきました。しかし、客商売の経験が無かったので、知人の紹介で白馬村のプチホテルで仕事をすることにしました。
  •  白馬村は白馬岳を一望でき、多くの自然に恵まれています。冬はスキーリゾート、夏は避暑地として観光客が多く訪れるとても素敵な場所です。白馬村には、南極観測隊員だった期間(500日)を挟んで都合3年半を過ごしました。
  •  素晴らしい自然の中で暮らしでは、冬の間2m近い積雪の中、毎日のように除雪に明け暮れたりしますが、春になると雪も解け草木が芽吹いてきます。ビニール袋の中に芽吹いたワサビの茎を入れてお湯を注ぎ良く振ると、お浸しができます。自然の恵みを頂いているという幸福感がたまりませんでした。
  •  夏には様々な花が咲き乱れ、秋には紅葉を絶妙なタイミングで見ることができます。白馬村にはいろいろな種類の温泉も湧き出ています。
  •  また、それまで公務員として比較的常識的な方々の中で仕事をしていましたが、リゾートの宿泊施設で働いている方々は、人生で会ったことのないほどの多様性をもっておられました。
  •  マイナス面で言うと、職場に対する愛着心があまりないという事です。近隣のホテルで朝起きてみたら調理人が部下を連れて全員いなくなってしまうようなことが時々ありました。ホテル側は次の調理人が決まるまで、仕出しで対応することになります。よくあることらしく、仕出し屋も遅滞なく対応してくれます。我がホテルでも、パートの方が複数人消えてしまうようなことがありましたが慌てず冷静に対応し何とかなりました。
  •  また、混乱に乗じてすり寄ってくる人達もいました。やさしそうに見えていても、乗っ取りをたくらんでいる様な人達です。私にはびっくりするような経験でした。こんなことから「人は信用しない。心をすべて許してはいけない。」という事を心がけています。こう決めると、結構人生は楽しく過ごせます。
  •  プラス面では、やはり多様な方々と接する機会があったということです。人生の醍醐味は、多くの方々と対峙するという事と思います。70歳になった今でも私の周りには素敵な方々がたくさんおられ、幸せな人生を送っていると実感しています。白馬村での経験は楽しい記憶として今でも目の前に浮かんできます。


白馬の景色



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    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.8) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  鉄の暴風――。先の大戦で沖縄に降り注いだ砲弾はこう呼ばれます。その総量は約20万トン(内閣府沖縄総合事務局)とされ、その5%の約1万トンが不発弾として残されたと推定されています。
  •  同事務局によると、不発弾は1972年5月の復帰前までに住民によって約3,000トン、米軍によって約2,500トンが処理され、復帰後は自衛隊が2023年3月までに約2,122トンを処理したそうです。山中にあるもの、海底深く沈んだ永久不明弾を500トンと見込むと、いまだに発見されていない不発弾は約1,878トンということになります。
  •  不発弾のうち県の調査で発見されるのは全体の10%程度で、ほかは民間の住宅建設や公共工事で見つかるそうです。
  •  わたくしは那覇市や那覇空港に行くときは、てだこ浦西駅まで歩いて「ゆいレール」に乗ります。その道中の浦添市西原で8月29日午前、不発弾処理がありました(写真①②)。報道によると米軍のインチ艦砲弾(写真③)発が今年6月27日、工事中に見つかったとのこと。この日は半径25.5メートルにある民家軒と事務所軒が避難対象となり、周辺道路も通行が規制されました。
  •  発見された6月27日以降、週1回は三線のけいこ(沖縄便り№参照)で那覇に通っているため、この道を少なくとも往復しているのですが、見つかって以降、特段表示などはなかったような気がします。「不発弾」ですから、触らなければ何も起きないという前提で皆さんは暮らしているのでしょうか。
  •  沖縄で新たに建造物を作る場合、「磁気探査」をするよう「沖縄不発弾等対策協議会」(内閣府、県などで構成)は求めています。地表から行う探査は、人力でセンサーを持って歩き(写真④)、データを解析します。深い位置を探るには、地面を掘り下げて、再び地表から探査するか、鉛直探査といってボーリングした孔を使って探査する方法もあるそうです。洋上や河川も探査船に釣り下げた探査計で調べます。
  •  同協議会は「沖縄不発弾処理等事前調査データベースシステム」を構築しており、過去にどの地点で不発弾が見つかったかを示しています。ただ、発見地点は赤い「爆弾」で表示されるのですが、県内は真っ赤(写真⑤)になります。拡大すると宜野湾市の我が家の周辺は写真⑥のようになっていました。
  •  これまでに処理された不発弾を地域別にみると、旧日本軍の主要な陣地があった首里・浦添地区に58%が集中し、最終戦闘地域の小禄・島尻地区が27%、離島が7%、米軍が上陸した読谷・中頭地区が6%だそうです。9月には那覇市で1400人に避難を勧告する250キロ爆弾の処理(写真⑦)もあります。
  •  同協議会によると2023年度は県内で約21.6トンの不発弾を処理したそうです。推定で約1,878トンあるわけですから、すべてを処理するには単純計算で、あと87年かかることになります。
  •   写真説明
  • ① 8月29日の不発弾処理を告知する立て看板
  • ② 処理があることを知らせる新聞記事(24年8月28日、琉球新報)
  • ③ 5インチ艦砲弾(沖縄不発弾等対策協議会ウェブサイトから)
  • ④ 陸上磁気探査(大和探査技術のウェブサイトから)
  • ⑤ 沖縄県南部のデータベース画面
  • ⑥ 我が家周辺のデータベース画面
  • ⑦ 9月の不発弾処理を知らせる新聞記事(24年8月20日、琉球新報) 

①立て看板



②爆弾処理の新聞記事



③5インチ鑑砲弾



④陸上磁気探査



⑤沖縄県南部のデータベース画面



⑥我が家近辺のデータベース画面



⑦不発弾処理の新聞記事





    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.7) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  猛暑日。最高気温が35度を超えると、こう呼ぶそうですね。
  •  沖縄気象台は7月19日に那覇で観測史上最高の36.0度を観測したと公表しました。1890年の観測開始以来の最高だとのことです。南国の沖縄ですが、例年は観測値からは「東京よりは涼しい」ことを示しています。それは、海に囲まれていて本州の内陸ほど気温が上昇せず、島国で風が強いこと、夏はときどき台風で天気が崩れる(そのため気温が下がる)からなどと説明されています。年から昨年(23年)までは1日も猛暑日はありませんでした。
  •  それが今年は「東京並みに暑い」ことを観測値が示しています。
  •  2023年7月の東京の最高気温の平均は33.9度。今年の那覇は、7月が終わった時点で33.9度と同じです。ちなみに、24年7月の東京の最高気温の平均は33.5度と那覇を下回っています。また、23年7月の那覇の最高気温の平均は32.8度と、昨年の東京より度1以上低い値でした。
  •  ところで、夏の沖縄で気になるのは台風です。今年は、これまでに発生した四つの台風のうち3号が24日から25日にかけて先島諸島に最接近しました。今月23日に久米島(本当から西約100キロにある離島)の町役場で事業者説明会があって参加を予定していたのですが、20日の時点で町役場から延期が発表されました。
  •  沖縄の人は台風に敏感です。学校が休校になる、空港が閉鎖される、停電になるといった被害が出るためです。
  •  わたくしの周囲には気象庁より「WindyWindy」という声があります。Windyは全世界をカバーする風速、風向、気温、気圧、雲量、降雨などのデータが見られる気象サービスです。
  • https://www.windy.com/
  •  台風3号の際も同僚から「フィリピンで台風が発生しそうだ」と聞かされたのが19日。気象庁が台風3号に言及したのは「20日15時にフィリピンの東で熱帯低気圧から変わった台風第3号」でした。同僚、すごいなぁ。気象庁の発表前に台風の発生を読んでました。「なんで分かったの」という問いに「」と一言。
  •  暑さに話を戻します。今年の那覇市の35度を超えた猛暑日は8回。過去の記録である1916年の年間9回に並んでいます。23年8月の那覇に猛暑日はなかったので、新記録樹立は微妙です。生まれて初めての沖縄の夏。やはり暑いです。

      7月24日午前9時19分のwindy画面。台湾島の東に気圧948ヘクトパスカルの台風3号がある。





    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.6) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  沖縄地方気象台は6月20日に「沖縄地方は梅雨明けしたとみられる」と発表しました。平年より1日早い梅雨明けでした。今年の当地の梅雨は、5月21日に「入ったとみられる」発表があり、ちょうど1か月でした。梅雨の後半は、「これでもか」というほど連日大雨でした。東京を含む関東地方が月日に「梅雨入り」したので、沖縄に「夏」が来るのと関東地方が梅雨に入ったタイミングが一致しました。
  •  梅雨が明けるなり、沖縄は暑い! 室内の温度計も日中は30度を超えています。初めての沖縄の夏ですが、この状態は月ごろまで続くらしいので、これはこれで恐怖です。が、それより、今日のテーマはカビです。
  •  梅雨では大げさではなく、あらゆるものがカビました。同僚から「注意してね」とアドバイスが受けていたものの、「何がどうカビるのか」が分からず、気づいたときには家中「カビだらけ」でした。
  •  分かりやすい例でいえば、風呂場の壁や床、洗面所の流しの付近など水回りにカビが生えるのは、内地でも納得できます。驚いたのは、クローゼットの中です。山に行くときに使う大きな60ℓのザック、ネクタイ、スーツといった使用後に洗っていないものはほぼすべてカビました。
  •  昔、微生物学で「温度と湿度とエサ」がカビの生える条件だと教わったことを思い出しました。クローゼットの中でもワイシャツなどは、洗ってから入れます。一方、前述のスーツ、ネクタイ、ザックは洗いません。つまり、わたくしの汗や山道の汚れがカビの「エサ」になり、格好の繁殖場所を提供していたわけです。
  •  添付の写真を撮ろうと、1か月振りに取り出した一眼レフカメラも、汗のしみ込んだストラップはもちろん、本体にもカビが生えていました。この便りに使うくらいしか、カメラを使っていないので気づきませんでした。
  •  エアコンを適切に使う、サーキュレータと除湿機を導入する、スーツなどはこまめにクリーニングに出すといった対策が要るようです。
  •  同僚によると「衣類のカビはよくあること」だそうです。ここまで高温多湿だったとは。
  •  でも、カビの文化のおかげでおいしい日本酒が飲めるといったメリットが、ここ東アジア(内地を含む)にはあります。ワインやビールが酵母だけの力で醸しているのに対し、日本酒や紹興酒は麹菌というカビが醸造に一役買っていることは言うまでもありません。
  •  高温多湿な沖縄に暮らし、あらためてカビと暮らしを考える機会となりました。
  •  ところで写真にあるように、沖縄はもう盛夏です。来月は夏をテーマにしましょうか。


 

中城村から見た太平洋。夏の雲が浮かぶ



  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.5) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  「かりゆし」をご存じでしょうか。かりゆしウエアは、暑くて長い沖縄の夏を快適に過ごすために考案されたシャツです。着用の時期は決められていませんが、県内の官庁や銀行では、ほぼ4月から11月が「かりゆし着用期間」とする例が多いようです。
  •  5月の大型連休も終り、例年なら梅雨入りの時期を迎えた沖縄ですが、ことしは連休中を含めて晴天が続いています。かりゆしの着用率もぐんと上がりました。気象庁によると沖縄の平均梅雨入り日は5月10日だそうです。今年は原稿を書いている5月12日時点でまだです。
  • ところで、雨天だと湿度が上がる当地では、雨が降らないのはありがたいのですが、島国だけに水不足が心配です。5月12日時点で、県内11ダムの貯水率は67.1%(平年値75.0%)です。今年3月上旬には、貯水率が43%台まで下がり「このままいくと給水制限(断水)か」というニュースも流れていました。
  •  かりゆしは、沖縄県のウェブサイトによれば、1970年に当時の沖縄県観光連盟会長だった故・宮里定三氏の発案で夏を快適に過ごし、観光沖縄ののため「沖縄シャツ」の名称で販売されたのが始まりとしています。
  •  シャツの形は、いわゆるアロハシャツと同じですが、ハイビスカスやデイゴの花、シーサーや守礼の門といった沖縄をイメージしたデザイン、あるいは沖縄の伝統工芸品である琉球紅型(びんがた)や琉球絣(かすり)の柄をあしらっていることが必要です。
  •  2000年に名称が現在の「かりゆしウエア」に統一され、同年に開催の「九州・沖縄サミット」(※1)を契機に県内に広まった(県ウェブサイトから)そうです。サミットの開催と広まったことの因果関係はサイトからは不明でした。
  •  「かりゆし」とは沖縄方言で「めでたいこと」「縁起の良いこと」を意味します(沖縄タイムス社沖縄百科事典)。沖縄県衣類縫製製品工業組合の定義では①沖縄県産であること②沖縄らしいデザインであること――が、かりゆしとして売って良い条件だそうです。
  •  内地では、5月から10月を「クールビズ」と称して、ジャケットなし、ノーネクタイで過ごしていた筆者ですが、沖縄ではほぼ毎日、かりゆしで仕事をしています。高温多湿の気候でも、確かに過ごしやすくできていると感じています。先日の会議で部員全員がかりゆしだったので写真を撮りました。
  • (※1)九州・沖縄サミットとは2000年、名護市部瀬名(ぶせな)の万国津梁館(※2)で首脳会合を開いたサミット。首脳会合は21月~23日。九州・沖縄サミット首脳会合には、議長国・日本の森首相を始め、クリントン大統領(アメリカ)、シラク大統領(フランス)、プーチン大統領(ロシア)、クレティエン首相(カナダ)、ブレア首相(イギリス)、シュレーダー首相(ドイツ)、アマート首相(イタリア)、プローディ委員長(EU)が参加しました。
  • (※2)万国津梁館とは沖縄県名護市に県が建設したリゾートコンベンション施設で部瀬名(ぶせな)岬の先端に立地しています。名称はかつて首里城正殿にあった「万国津梁の鐘」に由来し、鐘自体は現在、県立博物館・美術館に収蔵されています。万国津梁館には故・小渕恵三首相の銅像があるそうです(筆者は未確認)。※1にあるように、サミット当時は森喜朗首相でした。小渕は九州・沖縄サミットをお膳立てしたものの、2000年5月に亡くなっています。小渕が1999年10月に発行を決断した「二千円札」は今でも沖縄では見ることがあります。
  • 以上
  • 写真説明① 筆者の勤務先での会議風景。この日は全員がかりゆしだった
  • 写真説明② 筆者のかりゆし
  • 写真説明③ 沖縄県衣類縫製製品工業組合が「かりゆし」に着けているタグ
  • 写真説明④2
  • 枚組 万国津梁館の隣にあるブセナ海中公園のグラスボートと海中展望台。ボートは船底がグラス、展望台は階段で海中まで降りるとのぞき窓がある。いずれも魚やサンゴを間近にみることができる
  • 写真説明⑤2
  • 枚組 筆者の財布にある二千円札


 

会議



 

筆者のかりゆし


 
 

かりゆしの公認タグ



 

ブセナ海中公園のグラスボート


 
 

海中展望台


 
 

筆者の二千円札(表)



 

二千円札(裏)


 


  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.4) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  沖縄を代表する古典楽器の三線(さんしん)を習い始めました。
  •  三線は1415世紀に中国から伝わり、当時は今よりもっと大きな楽器だったそうですが、改良を重ねて今の三線の形になりました(県立博物館・美術館の展示説明から)。
  •  とりあえず「師匠」を探そうと思い、地元紙の「琉球新報」がやっている「カルチャーセンター」に問い合わせることにしました。そこで紹介されたのが安冨祖(やふそ)流絃聲会の照喜名朝國(てるきな・ともくに)師範の教室でした。朝國師範は人間国宝だった故・照喜名朝一(19322022)の息子です。
  •  稽古は週1回。那覇市の教室に通っています。朝國先生から「まだ楽器は買わないように」ということで、教室にある三線で練習しています。練習でつらいのは正座です。一応、尻の下に「正座椅子」(写真)を入れていますが、それでも足はしびれます。
  •  安冨祖流と書きましたが、琉球古典音楽の二大流派は安冨祖流と野村流。安冨祖流は師匠の口伝(くでん)によるレッスンと抑揚のある節回しに特徴があるそうです。一方、野村流は三線譜(工工四=「くんくんしー」と読む)に声楽譜が付いているため自宅学習も可能だととのこと。もう一つ、湛水(たんすい)流は、17世紀の三線演奏家、湛水親方を祖とする流派ですが、いまはあまり継承されていないということを稽古の際に聞きました。ちなみに「親方」は「ウェーカタ」と発音し、琉球王国(14291879)で士族が賜る最高の称号です。
  •  三線を使うのは琉球古典音楽のほか民謡と「BEGIN」「THE BOOM」に代表されるP-POPもあります。民謡は本土の民謡のほかに宮古民謡、八重山民謡、奄美民謡(奄美大島も琉球王国だった)があります。
  •  楽器としての三線の特徴は、洞に蛇皮を貼っていること、水牛の角である爪で弦を弾くことなどが挙げられます。蛇は主にビルマニシキヘビの皮が使われることが多く、ベトナムなど東南アジアからの輸入です。爪は合成樹脂製もあります。弦は太い(音程の低い)ほうから西洋音階でいうド、ファ、1オクターブ上のドです。弦の呼び名は太いほうから男弦、中弦、女弦で、それぞれ「ウージル」「ナカジル」「ミージル」と呼びます。チューニングは「ちんだみ」、調弦するは「ちんだみする」です。
  •  稽古は190分。前述の通り、安冨祖流は口伝での授業ですので、テキストや楽譜はなく、ひたすら目の前にお座りの朝國師匠の指の位置を確認しながら、弾いています。一緒に習っている人たちは、すでに数か月の経験があり「はやくあれくらい弾けたらなぁ」と思いながら練習しています。
  •  習い始めてから知ったのですが、沖縄県は地方紙が「琉球新報」と「沖縄タイムス」の二つがあり、二紙の部数が拮抗している珍しい県です。ほかに二紙が競っているのは「福島民報」「福島民友」が並立する福島県だけです。
  •  安冨祖流は琉球新報が、野村流は沖縄タイムスが、段位認定試験や演奏会の後援などを担っているそうで、競い合っているもの同士がタッグを組んでいるのが面白いですね。
  • 前回(No.3)の答え合わせです。
  • 那覇市安次嶺 あしみね
  • 那覇市西武門 にしんじょう
  • 那覇市天久 あめく
  • 那覇市真地 まあじ
  • 宜野湾市我如古(写真1)がねこ
  • 浦添市城間(写真2)ぐすくま
  • 浦添市勢理客(写真3)じっちゃく
  • 名護市世冨慶 よふけ
  • 名護市饒平名 よへな
  • 糸満市阿波根 あはごん
  • 糸満市宇江城 うえぐすく
  • 南風原町喜屋武 はえばる(ちょう)きゃん
  • 沖縄市比屋根 ひやごん
  • 豊見城市保栄茂(写真4)とみぐすく(し)びん
  • うるま市平安名 へんな
  • 南城市仲村渠 なかんだかり
  • 座間味村伊釈加釈 いじゃかじゃ
  • 八重瀬町東風平 こちんだ
  •  城は「ぐすく」、南風は「はえ」、東風は「こち」といった読み方のルールを覚えるとある程度は分かります。が、豊見城市の「保栄茂」と書いて「びん」、浦添市の「勢理客」が「じっちゃく」などは、知らないと読めません。ちなみに前回も書きましたが、皆さんのWordで「びん」と打って何回か変換キーを押してください。「保栄茂」出てきますから。


 

県立博物館・美術館に展示されている三線


 

三線の爪

 
 

三線を習う筆者


 

正座椅子

 


  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.3) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  大阪市城東区放出西、山形県真室川町及位など全国的に見ても難読地名は各地にあります。沖縄に暮らして3か月になり、仕事であちこちを訪れると、読めない地名に出会います。
  •  地名の由来はさまざまで、地形に基づくものは分かりやすいですが、由来が不明なものも多いと聞きます。あるいは新興住宅地のように開発されたときに行政が名付けたものもあるでしょう。筆者が東京で済んでいた板橋区高島平は、もともと徳丸原と呼ばれていた土地に団地が出来た際に、住居表示をすることになったようです。かつて徳丸原で砲術訓練をしていた江戸時代後期の砲術家、高島秋帆(たかしま・しゅうはん)と地形の「平」から1968年に「高島平」と名付けた(板橋区のウェブサイトから引用)とのことです。
  •  話を沖縄に戻します。沖縄では琉球王朝時代から仮名(平仮名)が一般的に使われ、地名も仮名表記でした。それが1609年の島津氏の侵攻で薩摩藩が琉球を支配するようになり、漢字の使用が広がり始めたとされているようです。つまり、もともと「音」としての地名に漢字を当てはめたわけです。北海道のアイヌ語を語源とする地名と似たように思います。
  •  さて、皆さん。読んでみてください。
  • 那覇市安次嶺
  • 那覇市西武門
  • 那覇市天久
  • 那覇市真地
  • 宜野湾市我如古(写真1)
  • 浦添市城間  (写真2)
  • 浦添市勢理客 (写真3)
  • 名護市世冨慶
  • 名護市饒平名
  • 糸満市阿波根
  • 糸満市宇江城
  • 南風原町喜屋武=町の名も読んで。同じ地名が糸満市、うるま市にも
  • 沖縄市比屋根
  • 豊見城市保栄茂(写真4)=市名も読んで
  • うるま市平安名
  • 南城市仲村渠
  • 座間味村伊釈加釈
  • 八重瀬町東風平
  •  かつて沖縄県にはコザ市(195674年)というカタカナの自治体名がありました。現在の沖縄市です。これは進駐した米軍が胡屋(ごや)という地名をKOZAと聞き取り、そう言っているうちに地名に定着したという説が有力です。今でも沖縄市胡屋という住所はあります。
  •  米軍が今も駐留する当地には、北中城村(きたなかぐすくそん)ライカムという住所があります。ライカム(RyCom)とは、琉球軍司令部(Ryukyu-command)の略称です。 かつてこの地に米軍司令部が置かれていたことから、現在も地名として残っています。司令部は現在、同村と北谷町(ちゃたんちょう)にまたがるキャンプ瑞慶覧(ずけらん)に移され、ライカムの跡地は巨大なショッピングモールが建っています(写真5、沖縄タイムスウェブサイトから。1階エントランス=左下=には100トンの水槽があり熱帯魚が泳ぐ)。
  •  地名を正しく読んでWordでその文字列で入力すれば、ほとんどの地名が変換で正しく出てくること、カーナビの音声は正しく発音する(当たり前か)ことも発見です。
  • 冒頭の二つは大阪市放出(はなてん)、山形県及位(のぞき)でした。
  • 沖縄の答え合わせは№4をお待ちください。



 

写真1


 

写真2

 
 

写真3


 

写真4

 
 

写真5

 


  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.2) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒 

  •  球春来沖。沖縄に引っ越して1か月と少しが経過しました。2月の沖縄といえば、プロ野球の球団が春季キャンプにやってきます。全12球団中9球団が沖縄県内でキャンプをしています。正確にはこれを書いている時点では、まだ沖縄入りしていない球団もありますが。
  •  居住地の宜野湾市には横浜DeNAベイスターズが、勤務先の浦添市には東京ヤクルトスワローズが来ています。2月の連休にベイスターズが練習する「ユニオンですからスタジアム宜野湾」とヤクルトの「ANA BALL PARK浦添」を連続して自転車で訪れました。ビールを飲みながら観戦できるように、です。観戦というのは正しくないですね。練習を見ているのですから。
  •  沖縄に来て驚いたのはプロ球団のホームスタジアムと同規模の球場がたくさんあることです。狭いところで練習にはならないでしょうから、各自治体が競って建てているわけです。宜野湾は両翼95m、中堅120mで天然芝。浦添は両翼98m、中堅122m、人工芝です。
  •  この季節に沖縄にいたことがないので、もちろんキャンプを訪れるのは初めてです。審判員、他球団のスコアラーといった関係者、報道陣もいて、プロ野球関係者がこぞって来沖していることになります。
  •  ちなみに沖縄にいる球団とキャンプ地は、ロッテ(石垣市から糸満市へ)、楽天(金武=きん=町)、日ハム(名護市)、阪神(宜野座=ぎのざ=村)、広島(沖縄市)、巨人(那覇市)、中日(北谷=ちゃたん=町)です。2軍が別に実施する球団では日ハム(国頭=くにがみ=村)、中日(読谷村)、阪神(うるま市)、楽天(久米島町)です。久米島町は久米島という島からなる自治体で、沖縄本島の東の東シナ海にある島です。那覇から飛行機で約30分の距離にあります。ダイビングで有名なので夏季は羽田から直行便もあります。人口7,000人、広さ約60㎢の島にスタジアムが二つあるそうです。
  •  宜野湾スタジアムの駐車場に止まっている車の約3割はレンタカーでした。おそらく内地からキャンプを見るために来た人たちでしょう。選手もサイン会を開いたり、地元の「さくらまつり」に参加したりと、シーズン中とは違う気楽さもあるようです。来月は何を書こうかな。


 

ベイスターズ1


 

ベイスターズ2

 

ヤクルト1


 

ヤクルト2



  ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.1) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  故郷・東京を離れ、単身で沖縄に暮らして約1か月が過ぎました。65歳で二つ目の会社を辞め、この1月から沖縄の会社に勤め始めました。オールドルーキーです。
  •  1月も20日を過ぎると当地では桜が咲きだします。ソメイヨシノではなく、ヒカンザクラです。写真は本島北部の今帰仁(なきじん)村にある世界遺産「今帰仁城跡」のサクラです。121日に撮影しましたが、まだ咲きはじめでした。
  •  暖かい沖縄ですが、1月終盤のいまは、最低気温が12度くらいまで下がっています。とはいえ度ですので、わたくしは何とも思いませんが、地元の人たちは「寒い、寒い」と言ってダウンを着込んでいる人も見かけます。
  •  転職し、それなりに忙しくしています。が、「沖縄便り」の形で定期的に寄稿します。


 

ヒカンザクラ


ヒカンザクラ


世界遺産「今帰仁城跡」





    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.13) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒
 

  •  沖縄県には全国の米軍専用施設面積の約7割があります。その面積は沖縄本島の約15%を占めています。米軍基地があることで事件、事故、騒音、環境問題などが発生しており、沖縄県民の生活に大きな影響を及ぼしています。
  •  このような沖縄への過重な基地負担を沖縄県民の約7割が「差別的な状況である」と感じているといいます(20231月、県調査)。また宜野湾市の市街地の中にある普天間飛行場の辺野古(名護市)への移設計画は、20192月の県民投票で投票者総数の71.7%が反対との結果が出ています。
  •  今回はこうした基地をめぐるレポートです。普天間基地編です。
  •  米軍普天間飛行場は沖縄県中部の宜野湾市にあります。那覇から北東に約10kmに位置します。在日米軍海兵隊の基地で2700mの滑走路があります。通称オスプレイと呼ばれるMV-22B(垂直離着陸機)が24機、常駐しています。ほかの常駐機は対潜哨戒機P-8ポセイドン、ヘリコプターのHH-60、空中空輸機のKC-135があるそうです。
  •  一方、「外来機」と呼びますが、他の米軍基地から戦闘機も飛来します。宜野湾市はF-35FA-18F-15などが飛来しているとしています。
  •  2003年、来県したラムズフェルド米国防長官が、基地が市街地の真ん中にあることから「世界一危険な基地」と評したことで知られます。翌20048月に基地に隣接する沖縄国際大学に同基地所属の大型輸送ヘリコプターCH-53Dが、訓練中にコントロールを失い、同大学1号館北側に接触、墜落、炎上したことで「危険」が証明された形になりました。
  •  次回は「嘉手納基地編」をお届けしますが、嘉手納町では「普天間が世界一危険なら、ここ嘉手納は『宇宙一危険な基地』だ」という笑えない笑い話もあります。
  •  筆者も普天間基地から直線で約1.5kmに住んでいます。日中は毎日のように同基地を離着陸する航空機の騒音が聞こえます。時には夜中や早朝にも騒音が響きます。
  •  基地の成り立ちは、19454月に沖縄本島に上陸した米軍により、本島が戦場になり、戦後、住民が避難したり、収容所に入れられていたりした間に米軍が接収して基地にしたという経緯があります。そのため、基地内に墓がある家族もいます。米軍に申請すれば、墓参りは可能とのことですが、祖先を大切にする沖縄の人にとって屈辱的な扱いではないでしょうか。
  •  基地の滑走路の延長上、基地の南西約1.5kmにある嘉数(かかず)高台公園には、基地を真正面に見る位置に展望台を設けています。公園内には、戦争のときに激戦地だったこともあり、現在でもトーチカや陣地だった壕が残されています。
  •  1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還要求運動が高まりました。普天間基地の辺野古への移設もこの流れの中で出てきた話です。1997年、移転先が名護市辺野古付近に固まりました。しかし、それから28年たった現在でも辺野古の埋め立ては軟弱地盤や自然破壊の関係で進まず、辺野古移転は、現在「最も早くて2037年の完成」と言われています。

写真① 嘉数高台公園から見た普天間基地


写真② 普天間基地空撮(琉球新報社のウェブサイトから)


写真③ 米海兵隊のオスプレイ(宜野湾市で)


写真④ 普天間基地のフェンス内にある墓



    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.12) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒
 

  •  「中城ハンタ道」。中城は「なかぐすく」と読み、自治体名(中城村)にもなっています。ハンタは沖縄の言葉で「崖」のことです。中城ハンタ道は琉球王国(西暦1429年~1879年、中国暦で宣徳4年~光緒4年、元号だと正長2/永享元年~明治12年)があった時代の前半に当たる15世紀ごろに整備された集落やグスク(城)の間を結ぶ道です。起点は中城村の糸蒲(いとかま)公園。終点は北中城村の中城城跡(なかぐすくじょうあと)までの約6キロの道のりです。沖縄にしては寒風が吹きつける224日、南から北に向けて歩きました。
  •  自宅から琉球大学のキャンパス内を横切って糸蒲公園まで約30分。大学構内を横切ると近道です。翌日から国立大学の前期日程の試験ということで、琉大キャンパスはその準備をする職員の姿も見られました。
  •  筆者は1978年に入学した最後の二期校生です。当時、二期校の試験は323日ごろだったと思います。合格発表のあった41日時点では、既に予備校の選抜試験に受かっていました。それくらい遅かったんですね。
  •  糸蒲公園から南上原のユクヤー(休憩場所の意味)までは、起伏のないコースで、ランナーやウオーキングをする人が目立ちます。南上原のユクヤーからは太平洋に開けた中城湾をはさんで北は勝連半島(うるま市)、南は知念半島(南城市)までが見渡せます。
  •  このユクヤーを過ぎると道は坂道になります。時には長い階段もあります。県の消防学校を過ぎて急坂を上ると前方に東シナ海、振り返ると太平洋が望める分水嶺に至ります。南北に細長い沖縄本島ですが、このあたりの東西幅は約6キロです。同時に太平洋と東シナ海皆が見える場所(最北端の辺戸岬、最南端の喜屋武岬を除く)に来るのは、沖縄暮らし約12か月で初めてでした。
  •  やがて奥間集落発祥の地とされる「キシマノコ嶽(うたき)」という今でも住民の「拝所」となっている場所を超えると、「161.8高地陣地」に着きます。この陣地は太平洋戦争末期、日本軍が構築した塹壕や監視所の跡があります。161.8は標高(メートル)です。
  •  1853年、開国を迫るために来日した米軍人・ペリーは浦賀入港前に補給のため沖縄・那覇港に停泊しました。そこで12人の「奥地探検隊」を編成した一行は530日、ハンタ道を訪れ、本島の東西が見渡せる土地に星条旗を立て、祝砲を鳴らしたという記録が残っているそうです。他国に星条旗を勝手に立てるというのはどうゆう料簡だったのでしょうか。
  •  さらに北上すると従来のハンタ道はゴルフ場にぶつかり、迂回を余儀なくされます。歴史的な道を遮って作られた非常識なゴルフ場は「オーシャンキャッスルカントリークラブ」という看板が出ていました。
  •  やがて前方に中城城(なかぐすくじょう)の城壁が見えてきました。自宅からだと約8キロ、およそ3時間ちょっと。御嶽(うたき)=拝所と戦争遺跡が同時に体験できる散歩でした。

写真① ランナーやウォーカーが行き交う住宅街


写真② 階段が設けられた傾斜地


写真③ 太平洋


写真④ 東シナ海(眺望は良くない) 


写真⑤ 塹壕跡


写真1⑥ ペリーが旗を立てたという岩


写真⑦ ペリー一行を描いた絵


写真⑧ 中城城跡



    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.11) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒
 

  •  1月だというのに当地ではコスモスが満開になりました。
  •  沖縄県読谷村の「よみたんコスモス畑」は、100万輪あるというコスモスが今を盛りに花を咲かせています。
  •  コスモスは「秋桜」と書き、内地では秋のはじめ、910月に開花することが多いですが、当地、沖縄では冬に咲きます。地元紙によると、今年は例年よりさらに2週間ほど早いという。
  •  撮影に訪れた113日は、那覇市の最低気温が17度と当地にしては低い日でしたが、朝から記念撮影や花の鑑賞に訪れる人で「よみたんコスモス畑」はにぎわっていました。
  •  沖縄のコスモスは、水田に植えて花が終わると緑肥にするため、水稲二期作が終わる11月頃に種をまきます。そのため、この冬の時期に、水田に見渡す限りピンクのコスモスの花が広がるそうです。

100万輪という「よみたん コスモス畑」


花はピンク、白、紫


花の中で記念撮影する子供


畑の中のYOMITANというディスプレイとコスモス(写真はいずれも読谷村で)





    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.10) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒
 

  •  「石敢當」をご存じでしょうか。
  •  沖縄の街角でちょくちょく目にします。「いしがんとう」「せきかんとう」などと読みます。「當」は「当」の旧字です。
  •  元々は、福建省を発祥とする中国の風習が日本に伝わったものです。本家の福建省のほか、東南アジアに広く、あるそうです。
  •  役割は、ものすごく簡単に書けば「魔除け」です。沖縄県や鹿児島県の奄美諸島には、街を徘徊する魔物「マジムン」(沖縄や奄美に伝わる悪霊、妖怪の総称)は、直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると、その対面の家にマジムンが入ってきてしまうと信じられています。そこで、道路の突き当たりにあたる塀に石敢當を設置し、魔物の侵入を防ぐ、魔除けとするそうです。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされています。
  •  「石敢當」の3文字を彫り込んだだけのものだけでなく、写真①や②のようにシーサーのような顔が付いたものもあります。一見、表札のような形で壁などに貼り付けていますが、位置は地上からすれすれのところにあります(写真③)。大きさもまちまちです(写真④)。
  •  在沖縄イタリア大使館領事連絡事務所で領事連絡員として日本滞在歴26年のマルコ・マッセターニさんというイタリア人が沖縄にいます。「琉球新報」の「落ち穂」というコラムにこんなことを書いていました。「散歩をしていて同じ苗字の人が多いと思ったら『石敢當』だった」と。
  •  表札だったら、この高さには置きませんけどね。この石敢當、ネット通販でも販売しています。「楽天市場」でも「Amazon」でも検索すると出てきます。
  • 写真① 顔のついた石敢當(宜野湾市大山)
  • 写真② 上にシーサーが乗っている石敢當(糸満市)
  • 写真③ いずれも宜野湾市内で
  • 写真④ いずれも宜野湾市内で

 

顔のついた石敢當(宜野湾市大山)

 

上にシーサーが載っている石敢當(糸満市)


いずれも宜野湾市内で

 

いずれも宜野湾市内で




    ★ オールド・ルーキーの沖縄便り(NO.9) ★

◎  須藤 晃(農学部植物防疫学科 昭和58年卒

  •  8月~日、沖縄市で「沖縄全島エイサーまつり」がありました。エイサーとは内地の「盆踊り」に相当する沖縄の伝統芸能。沖縄県中部の各地の「青年会」が太鼓などを持って踊るものが一般的ですがスタイルはいろいろあります。
  •  大太鼓や締太鼓を中心としたもの、片張りの太鼓(パーランクー)を用いたもの、太鼓を使わない手踊りのみのエイサーもあります。青年会の思いの詰まった旗を手に先陣を切る旗頭(はたがしら)や、イナグモーイ(女性の手踊り)もあります。振付はエイサーでも音楽は現代のポップスを使ったものもあります。
  •  沖縄市が合併前のコザ市だった1956年に「コザ市・エイサーコンクール」として開催されたのが現在の「全島エイサーまつり」の起源です。その後、コザ市と美里村が年に合併し沖縄市が誕生しました。
  •  エイサーは「沖縄の盆踊り」と書きましたが、当地のお盆は旧暦に従います。信仰心に篤い沖縄の人は一家(一族、あるいは沖縄で言うところの「門中」)総出でお盆の行事をするようです。
  •  今年(2024)は8月16日がウンケー(お迎え)、17日がナカヌヒー(中日)、18日がウークイ(お送り)でした。昨年は月日がウンケー、日がウークイでした。毎年、日程は変わります。町内会などが旧盆の日間に道路でエイサーをしたり、道ジュネー(みちじゅねー)をしたりするので、道路が通行止めになり、路線バスが迂回したり、運行取りやめになったりします。
  •  道ジュネーは、旧盆に催される先祖供養の祭りや行列を指します。若者が中心となってエイサーを踊りながら地域を練り歩きます。
  •  先に「青年会」と書きましたが、沖縄市のウェブサイトによると、青年会の定義を「エイサー文化の継承・発展ならびに青少年の健全育成など、地域活性化に取り組んでいます」とのことです。第一義的には「エイサーの継承・発展」のための組織です。
  •  エイサーの起源は諸説あります。そのうちの一つが1603~1606年年に琉球国の国王だった「尚寧王」が深く帰依した浄土宗の学僧・袋中上人(たいちゅうしょうにん、1552~1639年、磐城国生まれ)が念仏を踊りながら唱える「念仏踊り」を琉球に伝えたというものです。ほかにも、朝鮮王朝(李朝)実録(年)に当時の那覇でのエイサーの記述があり、そのころが始まりという説もありますが、確定的ではないそうです。
  •  今年のエイサーまつりは23日日の初日が胡屋(ごや)十字路周辺の公道での道ジュネー、中日(24日)はコザ運動公園陸上競技場で沖縄市内の青年会によるエイサー、最終日(25日)は同じ会場で県内から選抜された団体によるエイサーが披露されました。
  • 隣接するサブグラウンドではオリオンビールが主催する「オリオンビアフェスト」も開催されました。ステージにはDIAMANTES(ディアマンテス)、伊江島出身のなど多彩なアーティストが登場し、会場を盛り上げていました。わたくしもおいしくビールをいただきました。
  •  沖縄の人はエイサーを見て感じる高揚感を伴う感謝を当地の言葉で「ちむどんどん」と言うそうです。
  • 写真説明
  • 写真①~⑨ エイサーまつりから
  • 写真⑩ ビアフェストに出演の沖縄のバンド「Nanaironote
  • 写真⑪ エイサーの基本隊列(エイサーまつり実行委員会のウェブサイトから)
  • 写真⑫ 家族が集まる沖縄のお盆(琉球新報から)

 

①エイサーまつり



②エイサーまつり



③エイサーまつり



④エイサーまつり



⑤エイサーまつり



⑥エイサーまつり



七エイサーまつり



⑧エイサーまつり



⑨エイサーまつり



➉ピアフェストに出演のバンド 



⑪エイサーの基本隊列



⑫家族が集まる沖縄のお盆




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